たくさんの対立構造が交差する【孤鷹の天】

  • 書名:孤鷹の天
  • 著者:澤田瞳子
  • 出版社:徳間文庫
  • 発売日:2013/9/6
Amazonで見る

平安時代の仏師を描いた「満つる月の如し 仏師・定朝」から読み始め、ようやくデビュー作にたどり着いた。
「孤鷹の天」は上下巻。

奈良時代の若き大学寮出身者たちが恵美押勝の乱などの政治状況に巻き込まれていく中でどのように生きていくのか、そんなお話。
大学寮の教師や生徒たちの学生青春群像劇でもあり、その彼らが政治的な信念と政争に巻き込まれていく政治劇でもある。

主人公は遣唐使として唐に赴いたままいまだ帰国できずにいる藤原清河に使える高向斐麻呂。
藤原清河には娘広子がおり、斐麻呂は彼女のために遣唐使となるべく大学寮への入寮を決意する。
そこで出会う同室の光庭、癖のある先輩雄依と上信。それに奴(賎民)の身分でありながら大学寮へ忍び込む赤土。
他にも講師や王族の先輩など、大学寮は癖のある人がたくさんなのである。

持統天皇が目指した律令国家

持統天皇(讚良)が目指した律令国家にたどり着いたのか。
大唐に比肩する国家にするべく、天皇中心の中央集権国家を目指した讚良を描いた「日輪の賦」。
時代的には「日輪の賦」の方が古く、本としては「孤鷹の天」が古い。

讚良の頃から時代は下り、都は寧楽(奈良)に置かれている。

大学寮とは

斐麻呂たちの大学寮とはなんだったのか。
というか、奈良時代の制度や世界観がわかった方がおもしろかったろうということで、読後にちょっと調べてみたのでまとめてみる。
調べたのはWikipediaですが。

良民と賎民

この時代良賤法によって、人々は良民と賎民に分けられている。
良民と賎民の間にははっきりとした区別があり、賎民は売買の対象にもなっている。
良民と賎民は「五色の賤」によって良民は官人、公民、品部、雑戸に、賤民は陵戸、官戸、家人、公奴婢/官奴婢、私奴婢に分けられる。
はっきりとした身分制度があったということだ。
この五色の賤によって分けられた身分制度は後世の身分制度の起源であるかどうかは議論があるらしい。
作中では賎民として赤土と張弓が登場しているが、赤土は賎民ゆえに大学寮に正式に入寮することはできず、身分の違いがこの物語の縦の軸にもなっている。
斐麻呂は良民であるというが、ということは清河家の家人ではないということになるのか。

位階制度

作中位階(官位)がよく出てくる。
これが社会的なヒエラルキー上どの程度重要かよくわからなかったが、この位階によってそれに見合った仕事を割り振られていくものだったらしい。
位階が上がらないと、政治の真ん中の方で決定的な仕事はできなかったということ。
賎民はこの位階の外だろう。

貴族と官僚

貴族とは基本的に五位以上の位階を持つものであり、それ以下は貴族ではなく官僚であったという。
蔭位の制というものがあって、親が高位であった場合はその子供もある程度の位階からスタートできるというもの。
だから貴族は世襲的に貴族だったってことですかね。
ここで、貴族と官僚が分けられるということは、政治機構として官僚制度っていうのがある程度確立されていたっていうことなのじゃないだろうか。

大学寮とは

大学寮(だいがくりょう)は、律令制のもとで作られた式部省(現在の人事院に相当する)直轄下の官僚育成機関である。官僚の候補生である学生に対する教育と試験及び儒教における重要儀式である釋奠を行った。
勧学田の拡張や大学教官への職田設定、学生に対する学問料・給料(学資)支給制定などの財政支援策も採られた。こうした就学政策に加えて、唐風文化への関心の増大などがあり、平安時代前期に相当する9世紀から10世紀初頭にかけてが大学寮の全盛期にあたった。
入学資格としては、五位以上の貴族及び東西史部(代々記録を司った)の子供および孫に限られていたが、八位以上の官人の子供にも希望があれば入学が許されていた。また、少数であるが姓を有しない白丁身分(庶民)の子弟であっても入学が許された例も存在している(天平年間に設置された文章生・明法生の採用規定に「白丁雑任の子」と規定されていた)。卒業試験試問を受験し、その試験結果が8割に達すれば式部省が実施する進士・明法・明経・算・秀才のいずれかの試験を受け、上位成績になれば八位~初位の官位が授けられた。また、学生の一部には得業生として大学に残り博士を目指す者もいた。
-Wkipedia 大学寮より

大学寮自体が官僚を輩出するための機関であり、そこで学ばれるのは儒教を中心とした学問で、技術としての漢文の素養を求められた部分が大きかったらしい。
後代では小野篁、紀長谷雄、菅原道真などの有名人を輩出している。
この本の中では、官僚輩出機関としての側面が強く、政治の中央で辣腕を振るう貴族というよりも、政治システムの中での優秀な官僚陣となって行くののが主な進路だ。
寄宿制であったこともあってか、大学の卒業生(この言い方でいいのか?)は大学寮に対する帰属意識も大きく、出身者同士の連帯感や、ある意味学閥的な面もあったようだ。

恵美押勝の乱

恵美押勝こと藤原仲麻呂は当時の帝大炊王(淳仁天皇)の外戚であり(大炊王の妃が仲麻呂の長男の娘)、上皇となった阿部様(孝謙天皇、のちに重祚して称徳天皇)との関係もよく(男女の中だったとかなんとか)、大学寮の庇護者である。
もちろん政敵も多いが、それを抑えるだけの権力と人望を持ち、大学寮に好意的であるため、学生たちにも尊敬される人物。
大学寮の庇護者であるということは儒学に対する見識とそのスキルの有用性を認めていたらしい。

そんな仲麻呂のつまづきは男女のもつれであったという。
仲麻呂につれなくされた上皇は、徐々に僧道鏡に寵愛を移していく。
仲麻呂のことを信頼していた上皇の拗ねた気持ちは徐々に憎しみへと変わり、政治を進めなくてはならない仲麻呂とは相容れないようになっていく。
仲麻呂の政敵であった藤原永手(広子の叔父)や吉備真備が上皇方にたち、仲麻呂はついに決起する。

大学寮は中立を表明するが、仲麻呂の人望に大学寮を抜け出し参陣するものも現れる。
仲麻呂の人望というより、仲麻呂の政治に儒教的な徳治政治を夢見た、といった方がいいか。
大学寮に学生は己たちの学んだ儒教の概念の信奉者だ。

決起した仲麻呂は授刀少尉坂上苅田麻呂と授刀将曹牡鹿嶋足に率いられた上皇方の素早い攻勢に合い、琵琶湖畔で殲滅される。
これにより大炊王は廃位され、淡路島へ流される。空いた帝位には上皇が重祚した。
おおまかな外側の流れでいうとこんな感じだろうか。

恵美押勝の乱の影響

恵美押勝の乱の影響が及ぼした影響とはなんだったか。
というのも、恵美押勝の乱はこの本の中で最大のイベントではないのだ。(流れ的に大きな出来事だし歴史的には大きなことだったろうけども)
というものこの物語の主人公たちが乱の当事者だったわけではなく、乱以降の時間をリアルタイムに生きなければならず、その中で何を思い、どう行動していったかがこの本であるから。

恵美押勝の乱によって藤原仲麻呂がいなくなったということは、それまで大学寮(儒教)の庇護者であった彼と、仏教の熱狂的な信奉者である阿部帝の間にあった均衡が崩れ、叛徒の擁護した大学寮には強い逆風が吹き荒れる。
政治的には儒教的な徳治政治から方針を変更し、仏教に対する庇護が厚くなっていく。その一端が道鏡やその一族の急激な階位の上昇であったろう。
大学寮出身者たちは左遷の憂き目にあい、地方に転出させられるもの、閑職に回されるものとでてくる。
当然不満もあるだろう。
儒教による政治に夢を見ていた官僚たちにとっては、仏教を政治の中心に据えた政治は正義に反するものだったろう。
これがその後の大炊王を担いでの絶望的な学生闘争にも似た反乱へと繋がっていく。

たくさんの対立

このようにこの本の中ではたくさんの対立構造が物語の中に仕込まれている。
対立構造によって立体的に、違うな多角的な読み方ができると思うのだ。
上下の構造として、良民と選民の対立、奴であることによる人間的な嘆き、慟哭。

官僚と貴族(政治家)との争い。
仏教と儒教の対立。
儒教に関しては、当時の日本にそれだけ儒教が入ってきていたということ驚きがあった。
儒教が支配者の理念として活用されるのは朱子学はじめ武士階級によるものだという思い込みがあった。
科挙の制度を確立したのが唐の前の随だとして、それを取り入れようという先進的な思考があったと考えてもいいのじゃないだろうか。
仏教、あるいは神道というものが先行する思想としてあり、それに対する新興の思想としての儒教という対立構造も考えられるだろう。

そして大炊王と阿部帝との横の対立。
赤土や斐麻呂たち、学友同士の水平方向の糸。
それらがたくさん絡まり合ってこのお話になっていると思う。

各章の終わりに、鳥が飛ぶ。視点は空へ。
縦の軸の一番上にいるのはこの鳥か。

本当は登場人物たちがすごく面白かったので、そちらを書きたかったのに、結構な分量になっちゃったので2回に分けますね。
今回はこの辺で。。

 

続きはこちら!
こんな学友がいいですね。古代から奈良そして蝦夷へ【孤鷹の天】

広告
広告

この投稿へのコメント

コメントはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

この投稿へのトラックバック

トラックバックはありません。

トラックバック URL