玄宗が楊貴妃に出逢う前【唐玄宗紀】
- 書名:唐玄宗紀
- 出版社:講談社文庫
- 発売日:2016/8/11
開元の治という全盛によって盛唐と呼ばれる期間(時代)を唐の皇帝玄宗の物語。
物語は玄宗と玄宗に仕える宦官高力士との昔を思い出す会話から、その時代を登極までの課程から安史の乱まで時系列に進む。
この本おける主人公は玄宗なのか高力士なのか、それともこの盛唐の時代か。
登場人物の心理描写では玄宗よりも高力士の方が多く、玄宗の心理は高力士によって述べられていることが多い。
宦官という制度
古代から中国の王朝から続く宦官の制度。
宦官とは男性が男性器を去勢し官の奴婢となった人物のこと。
性器の切断は宮刑などと呼ばれる刑罰であり死刑に継ぐ重さだったという。
宮刑をされた人物で著名な人物といえば、史記を書いた司馬遷が有名だろう。
去勢された宦官は、皇帝の私的空間である後宮に仕えることも多く、皇帝の傍で働くため、地位を獲得し富貴を手に入れるものもいた。三国志の曹操の祖父は宦官の最高位大長秋にまで登った曹騰であり、後漢末期には十常侍と呼ばれた宦官たちが専権を振るった。
皇帝という最高権力者の私生活の近いところにいることができた宦官にはこのようなチャンスがあり、後の時代では自ら進んで去勢し宦官になるものもいた。
高力士は少年時代に嶺南よりつれて来られ、去勢され宦官として中国王朝史上唯一の女帝武則天に仕える。
容姿もよく才能もあった高力士は頭角をあらわし武則天の死後は、後の玄宗李隆基とともに、韋后や太平公主たちとの戦いに勝ち抜いて行く。
そんな高力士が言う、宦官は人間ではないと。
皇帝李隆基
皇帝となった李隆基はどのような人物であったのか。
高力士からみた玄宗は決断までに時間のかかる優柔不断な面をもつ人物であり、自分の周りの人間に対し愛情が深い。
ただし一度決断すると実行が早く、皇帝としての威厳と人を引きつける度量を持っている人物。
皇帝の間玄宗は後世の史家の評判よりも、現世で周りの人間たちを幸せにすることを仕事としている。
皇帝となり、周りの人間を幸せにすることから、民を幸せにすること、それが政治であり皇帝の務めであると考えるようになる。
政治の手法としては、自ら親政するのではなく、信頼できる宰相に政治を任せ、宰相や官僚たちがきちんと仕事のできる環境をつくることをしている。
特に治世前半姚崇・宋璟といった人物を宰相にすえた政治は、唐の最盛期を迎え開元の治と呼ばれるものとなる。
中盤以降は、宰相同士の権力争い、党派闘争をうまく制御しきれず失敗を後悔することもあったが、おおむね善政しいていたと言えそう。
個人的な特徴としては、周囲の人間たちには深い愛情をそそぐことのできる玄宗だったが、寵姫たちには愛情を注ぐがその子どもたちへはいまいち愛情が薄い。
女性をひとつの美としてとらえていた可能性もある。梨園と呼ばれる芸術を育てる場所を設け、音楽などでは自分もそこで優秀であった玄宗は、人に対しても審美眼が働いたのかもしれない。
政治に関してはわかりやすいエピソードがある。
宰相姚崇が喪に服するため政務を休まなければならない期間があった。かわりに仕事をすることになった蘆懐慎は姚崇のようにはいかず、仕事を滞らせてしまう。
皇帝に謝す蘆懐慎に対し、玄宗は「だからこそ、朕は姚崇に政務を任せているのだ。」といって自分の仕事をしっかりやるようにという。
能力のある人間を必要な所へ、玄宗の政治姿勢のエピソードである。
しかし、このエピソードどこかで見た気がしたが、銀河英雄伝説にもこれと似たエピソードがありましたね。
工部尚書シルヴァーベルヒが病気の際代行したグルッグが自信を喪失、辞表を提出しラインハルトに宥められる、というシーン。
もしかするとこの話は姚崇のエピソードが下敷きになっているのかもしれない。
宦官高力士
宦官である高力士は基本的に政治の表舞台にでることはない。
そのかわり内庭に関しては自分の職分であると、妥協は許さない。
宦官である自分は、皇帝(の生活)とは不可分の存在であり、「皇帝のため」になることをする。
高力士が歴代の佞臣たちと一線を画すのは、まず私心がないこと、それから「皇帝のため」に対局を見ることができたことだろう。皇帝に対し私心のない宦官は他にもいただろうが、皇帝の気持ちを最優先したがために国を誤り、後世佞臣と呼ばれてしまった人たちも多い中、高力士は皇帝のために先を見越し助言をすることができた。
宦官は人間ではないという高力士。
玄宗に人はなぜ変わるのかと聞かれ、人は変わって行くものだ、だが自分は宦官だから変わることなく玄宗に忠誠を捧げるという高力士。
そんな高力士の人間らしい瞬間のエピソードを二つ著者は用意している。
ひとつは母親との再会のシーン。母親麦氏から胸の七つのほくろのことを言われ、自分でも気づかぬうちに涙を流す。
もうひとつは妻となる女性が男嫌いであることを見抜き、それ故に宦官たる自分に近づいたことを知りつつ家に入れる。
家を治めてくれればいいという想いだけ自分にはあると思っていた高力士が、なかなか帰ることのできない自分の家に帰ったときに自分の家があることを認識し、安史の乱のおり長安を捨てる際に妻に会いに行く。
長年連れ添い、家政を治めたこの妻は賢妻といっていいだろう。
楊貴妃
楊貴妃には上昇志向があった。
太子の妃であった楊玉環に、これ以上の富貴を望むかと問いかける高力士。
それに諾と応え、楊玉環は玄宗の貴妃となる。
楊貴妃が後宮に入り、玄宗は政治の世界へあまり出てこなくなる。
ここも玄宗の人の良さで、楊貴妃を喜ばせたい想いが強いのだ。
しかし、そのことによって、それまでの政治姿勢であった適任の宰相を選び政治をまかせる、という方法が破綻し、李林甫などの宰相による独裁を招き、それを掣肘することができなくなる。
そして楊貴妃の一族である楊国忠が宰相となった時、楊国忠とは相性の悪かった安禄山らが反乱を起こし、大乱になり長安から蜀へ行くことを余儀なくされてしまう。
詩仙・詩聖
本書の中には、詩仙李白・詩聖杜甫も登場している。
大酒飲みの李白は高力士とのエピソードが、杜甫には玄宗蜀行にともなう「国破れて山河有り」のエピソードが紹介されている。
玄宗還御
長安を回復し、玄宗は楊貴妃のいない長安に変える。
このころ太子が皇帝として立っており、玄宗は大上帝となっている。
その玄宗の長安還御を、長安の民衆は万歳を持って迎える。皇帝よりも大きな声で。
これが玄宗の評価であり、治世の最後に大乱にあったことよりも、永い間善政を敷き長安に繁栄をもたらしてくれた皇帝として長安の民は玄宗を迎えたのだ。
「民のため」に政治をしてきた玄宗にとって、これは最大の評価であったろう。
道教
玄宗といえば道教にハマったというのが定説だが、この本の中では怪しげな道士も道教も出てこなかった。強いていえば楊玉環が貴妃になる前に世俗と一度きれるために大真となったくらい。
そういえば仏教も出てこなかったな。
中国史の本
中国ものの小説が好きだ。
しかし良くあるように三国志から入り、そして宮城谷昌光さんの本によって、そこから時代をさかのぼっていっている。
逆に三国志以降はよくわからないところが多い。
隋唐のあたりで読んだと言えば、田中芳樹さんの花木蘭や夢枕獏さんとかかなぁ。夢枕さんのは空海だし。仁木さんの僕僕先生シリーズも唐の時代ですね。
最近日本の時代小説が続いてたけど、中国ものもやっぱりおもしろいなと思わせてくれた本書。
この本は読んだなぁっていう感じがした。歴史系の小説だと感性があわないとページ数の割に内容がなく感じたりするけど、この本はそんなことなかった。小前さんは他の時代も書かれているみたいだから、ちょっとずつ読んでみようかな。
気になっているのは下の2冊。※アマゾンにリンクしています。
中国ものではなくて日本の話だけど、11月に文庫化されるこれも気になる。
– 月に捧ぐは清き酒 鴻池流事始 (文春文庫)
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