初めて読んだ本はなんですか?
自分が初めて読んだ本はなんだったろうか?
幼稚園の頃には絵本の読み聞かせをしてもらっていたと思うし、よく覚えていないがお気に入りの絵本もあったと思う。4畳半の部屋の隅のカラーボックスに絵本が並んでいたのを覚えている。
そんな中で初めて読んだ本。絵が主体ではなく文字が主体の本はいったいなんだったろうか。
あえて小説と書かなかったのは、自分の記憶を遡っていくと、祖父が買ってきた小学生向けの「豊臣秀吉」の伝記だったように思うからだ。
「豊臣秀吉」を読み終わると祖父は「織田信長」「徳川家康」を買ってきて与えてくれた。
秀吉は日吉丸で草履を温めた人で、信長は父親の葬式で抹香を投げつけ、家康はその時の記憶にはあんまりない、まぁなんとなく読んだ時の記憶があるのだ。
祖父はなぜに孫に「豊臣秀吉」を与えたのだろうか。
僕が本を読む影響は間違いなく祖父から受けている。
僕からみた祖父は毎日規則正しく同じように過ごしている人だった。
家にいるときはずっとマグネットの碁盤で勉強しているか、小説を読んでいるかどちらかだった。夕飯で大きな湯呑に1杯熱燗を飲み、寄って気が向くと戦争の時の話をしたりした。海軍にいたのだったかな。そういえば、ピースの空き缶に小銭を入れていたりした。
たまに街に出かけると(出かけるときはちゃんとジャケットを着ていく人だった)、お土産にドーナツを買ってきてくれて(のちにマクドナルドのハンバーガーになった。ミスドもマックも街行かないなかった。)、とても喜んだものだった。
なんでも読む人だったが、歴史物、時代小説はよく読んでいた。歴史の話が好きで、会津の白虎隊や、新選組の話をすることもあった。司馬遼太郎さんや子母澤寛さんの本なんかもあったし、その中にナンシー関さんの本があったりもした。郷土史の本なんかもあったな。
戦国時代を調べていて自分と同じ苗字の大名を見つけて喜んでいる僕に、そんなものより自分は蝦夷の子孫がいいなんて言う人だった。
そんな祖父はなぜ僕に「豊臣秀吉」をくれたのか。
亡くなってしまったから聞くこともできないし、案外祖父も覚えていないんじゃないかと思う。
秀吉のような機転のきく人間にはなれなかったけど、本の読み方だけは祖父に似ている。
本棚に入りきらなくなって平積みになった本も、暇さえあれば本ばかり読んでいるところも。
池波正太郎さんや藤沢周平さんなどに手を出すのがここまで遅れたのは、時代小説に関しては実家に帰れば祖父の本があると思っていたからだと思う。我慢しきれずに買うようになってしまったけれど。
僕の部屋には祖父が買った本が何冊かある。帰省した時に見つけて勝手に持ってきた司馬遼太郎さんだったり。1冊の値段が今の半分くらいの本たち。煙草で黄色く変色していたりするけど、それ以外はきれいなもんだ。
子供の教育という面で、小さいころの読書体験というものがどれだけの意味を持つのかは知らない。
自分に限って言えば、一番最初の絵本も祖父が与えてくれた本たちも、今の読書を楽しいと思うところにちゃんとつながっていると思うと、大いに感謝している。
結局なぜかはわからないけど、一番初めは「豊臣秀吉」だった。
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