信長の家臣から見た信長と点というセンス【王になろうとした男】

  • 書名:王になろうとした男
  • 著者:伊東潤
  • 出版社:文藝春秋
  • 発売日:2016/03/10
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王になろうとした男、読了。
カリスマ主君織田信長に使えた人たちの短編集。
配下からみた信長としての主君像が描かれており、その視点は羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家など有力武将ではなく、毛利新助、塙直政、荒木村重、津田信澄、タイトルとなっている編の黒人彌介と、教科書的な歴史の本流(教科書には出てこなそうという意味で)からは少し外れた人たちが主人公である。

信長を主人公とした編はないが、信長の突飛さ、先進性、カリスマ性、そして慮外の認めた人に対する思いやり(思いやりとはちょっと違うけど、言葉が思いつかない。)が、それぞれの視点を通してみることができる。
思いやりというより、人として認めたという感じかな。

桶狭間の毛利新助と服部小平太って単語を、なんか強烈に覚えていたのは子供の頃に読んだ本の中に出てきたからだろうなぁ。
毛利新助も服部小平太も、その後出てくる本とかあんまりなくて、ある意味一発やで終わってしまったのかと思ってたけど、ちゃんと続きがあって終わりがあるんだよね。

荒木村重を書いた「復讐鬼」は、信長から離反し敗れた末、最終的に生き延び茶人として生きた村重の復讐譚である。誰が主人公で、復讐されるのは誰なのか。
個人的には、復讐鬼という重々しいタイトルに想像された残酷劇ではなく、ラストになんとなしに爽やかささえあるように思う。
村重って、高山右近とか中川清秀とか配下に持っていただけでも、すごかったんじゃないかと思う。

この話に限らず、信長って、決して仕えやすいタイプではないと思うけど、拒否されたり憎まれたり理解されなかったりするけど、嫌いになられない人だったのかしら?
信長個人に対する嫌悪感よりも、信長が作り出した状況や、その制度を認めつつも、それに対する恐怖心や憎悪心が勝った、という描き方に感じた。

本書に関しては、各短編はもちろん、巻末の高橋英樹さん(俳優)、本郷和人さん(東大教授)と3人で行われた鼎談がとてもおもしろい。
3者の信長観が語られている点と歴史に関する新しい解釈もそうだし、信長が新たな価値(茶の湯を利用した形で)をや国家観を創造したという点を、秀吉の朝鮮遠征と比較する点が興味深かった。あと10年信長が生きていて、活動範囲がさらに広がっていたら、さらに新たな価値観も生まれていたのかもしれないな。それがどういうものかちょっと想像つかないけれど。
点を支配する統治がうまくいかないことが多いとされる中で、秀吉の目指した面による統治よりも信長が目指したとする点による統治のほうがうまく行きそうに感じるのは、当時の世界情勢と、それだけ信長の先見性と政治センスが日本の中で傑出していたということだろうか。
本能寺の後の、豊臣・徳川の時代に土地を基本とした価値観に戻るというのは、それが当時の価値観として正統であったということと、もしかしたら信長の生み出した価値観に対するアンチテーゼとしての答えとしての側面があったのかもしれない。

時代の先を行ってしまった信長像は、やっぱり三国志好きな日本人からすると、乱世の奸雄と言われた曹操と重なる部分があるよなぁ。
そうすると、物流の拠点摂津にいて配下に優秀な人材がいた荒木村重は、要地冀州を抑え沮授や張郃を配下にもった韓馥と、、、タブラんな。

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