三国志の隠れた人たちの人物伝【三国志外伝】

  • 書名:三国志外伝
  • 著者:宮城谷昌光
  • 出版社:文春文庫
  • 発売日:2016/10/7
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待ちに待った本の文庫化。
文庫されるのがわかってからずっと楽しみにしていた1冊。
本書は全12巻で完結した宮城谷三国志の外伝となる。王粲、韓遂、許靖、公孫度、呉祐、蔡琰、鄭玄、太史慈、趙岐、陳寿、楊彪、劉繇の12人の章からなっている。
本編の三国志が編年体であったなら、本書は紀伝体といったところか。

個人にフォーカスした短編集

本編が三国志を三国志より前の後漢末期から始まった作品であり、その本の流れの中では1人もしくはある血統が主人公になるといった本ではなかった。
たくさんの登場人物がいる中で、歴史(三国志に続く世界から三国志)が主人公というような本編だった。
歴史という河の本流というべきその中では紹介する事のできなかった人物たちのエピソードをまとめたものが本書である。
他の宮城谷作品から考えると三国志本編のような形式の方が少ないのであって(他にこの形式あったかなぁ?)、人にフォーカスした本書の形式の方が馴染みが深い。

ラインナップもおもしろい。
劉備、曹操などの主役級と比べると失礼ながらちょっとマイナーな人ばかり。
政治家や武将としてよりも、文化人として、学者としての業績のある人が多く、歴史の表舞台に出てきにくい人たちが多くピックアップされている。
吉川永青さんの「戯史三國志シリーズ」も主人公の人選に野望を感じたが、こっちはもっと通好み。
知らなかった人物に出合わせてもらえるのが宮城谷作品の好きなところであり、こういう短編集は好みだ。

登場人物

韓遂

涼州の雄、韓遂。
この人こそ乱世の奸雄のようなイメージがあったが、この作品では仕方なく立ち、守るために戦い続ける。
中華思想のもと虐げられた羌族をはじめ異民族に敬愛され、長く長く戦った人物。
三国志の世界の中でも、戦国模様だっただろう涼州。その割になんだかよくわからないことが多い涼州。
馬騰でも馬超でも
韓遂が主人公の小説があったらおもしろいだろうなぁ。

韓遂といえば成公英のエピソードも外せない。
ゲーム光栄の三国志では9までには出てこなかった気がするし。
蒼天航路では男なのか女なのかわからないし。
なかなか謎キャラなんですよね。

陳寿

まずは陳寿のWikipediaからの引用を見ていただきたい。

陳寿本人については『三国志』を書くに際して、私怨による曲筆を疑う話が伝わっている。例えば、かつての魏の丁儀一族の子孫達に、当人の伝記について「貴方のお父上のことを、今、私が書いている歴史書で高く評価しようと思うが、ついては米千石を頂きたい」と原稿料を要求し、それが断られるとその人物の伝記を書かなかったという話がある。また、かつて諸葛亮が自分の父を処罰し、自身が子の諸葛瞻に疎まれたことを恨んで、諸葛亮の伝記で「臨機応変の軍略は、彼の得手ではなかったからであろうか」と彼を低く評価し、瞻を「書画に巧みで、名声だけが実質以上であった」などと書いたのだといった話も伝わっている。
以上、いずれも正史『晋書』に収録された逸話である。もっとも丁儀一族が曹丕に誅殺されており、子孫は存在さえ疑わしい。また、陳寿は諸葛亮の政治家としての才能は非常に高く評価している。軍事能力に疑問符を付けたとはいえ、『諸葛亮集』の完成を司馬炎に奏上した中で、北伐の敗因を天命に帰すなど、総合的な評価は寧ろ絶賛に近い。ただし、諸葛瞻については肯定的な評価をしていないのは事実である。
陳寿 -Wikipedia

ここだけ読むと性格的に難があって、三国志を書いたことはすごいけど個人的には嫌な奴だったのかなぁ、という印象も受ける。
実際陳寿が中傷されるのも偉大な功績への妬みの他にも、やはり他人から見たときに陳寿本人のどこかに白ではない要素が多分にあったからなのだろう。

本書における陳寿は学問の虫である。
宮城谷さん自身、自らの研究に没頭したいがために政治家としてはどうであったかというようなことを書かれておられる。
この辺では陳寿とその師である譙周が並べられて描かれる。
譙周も劉禅に降伏勧めた人物という事以外はよく知らなかった。
譙周が優れた学者であり陳寿も優秀な学者であったこと、そして陳寿が歴史学者であったこと。

自らが目指すべきを史記の司馬遷や漢書の班固など過去の偉大な人物たちに置き、実際に三国志を完成させた歴史学者陳寿に対し宮城谷さんは絶賛しておられる。
そこには陳寿成し遂げたものへの感嘆と、歴史そのものに対する尊敬があるように感じた。

劉繇

何で読んだか、劉繇という人物が気に入っている。
蒼天航路では虎に乗った孫権に追い回されて(たよな、確か。。)、演義でももっぱら孫策と太史慈の引き立て役に甘んじている劉繇。
ゲームの世界でも、いい位置にいるような部下も微妙のような何だかイマイチなやられ役ばかりの劉繇。(えぇ、劉繇で何度かクリアしましたとも)
孫策と太史慈の一騎打ちが終わるとさしたる出番もなく、いつの間にか死んでいる劉繇。
そんな劉繇だがこの一編では主人公である。

もともと評価は高かったのだ。
前漢の劉氏の系譜であり、その系譜は斉の地では未だに声望があったという。
兄劉岱ととも優秀であると他者から評価されており、江南に行ってからは一大勢力となっている。
宮城谷さんは劉繇にもう少し時間があれば、ということをおっしゃっているが、ここに孫氏ではなく劉氏の王朝が一つできていたかもしれないifはちょっと魅力的ではないだろうか。

もう一つ劉繇の評価が下がりやすい原因の一つは、諸葛玄と争い最終的に諸葛玄の首をとったことだろう。
孫策に敗れてからの話だが、豫章の太守が朝廷が任じた人物と袁術(劉表?)が任じた諸葛玄の二人いるという状態が起こり、朝廷側にたった劉繇はこの戦いに勝つ。
問題なのは諸葛玄がかの諸葛亮の叔父であったという事だ。
どちらが正しいも、どちらが正義もなく当時としては当人たちの正義をそれぞれ行ったことだろうが、後世の評価を考えると諸葛亮の叔父を殺したという話だけで十分に印象が悪い。
かの出師の表の中でも王朗とともに孫氏に江南を統一させた人物として酷評されているとの事だが、これは叔父を殺され荊州へ流れざるをえなかった諸葛亮の心境を思うと仕方ないところもあるだろう。しかし、かの出師の表の中で悪く言われては後世の評価は上がりにくいだろうなぁ。

その他にも

本書の冒頭にあるが、この物語の始まりは太史慈などを描けなかったという思いから書かれたという。
蜀にたどり着くまでえらい距離を実は旅していた許靖。
本人のエピソードもさる事ながら、曹操と孫堅の双方にかった将軍徐栄のエピソードのでてくる公孫度。
大学者蔡邕の娘、匈奴に連れ去られた蔡文姫。
などなどいまいちよく知らなかった人物たちとその周辺の人物の話が満載である。

精神の風姿が悪い

この言葉は本書のはじめにでてくる言葉だが、なんだかいい言葉、いい響きの言葉だな、と思った。
「精神の風姿」を自覚的に意識することは可能だろうか?

三国志読本も文庫化されないかぁ。
登場人物の非常に多い三国志。まだまだ隠れた人物が満載にちがいない。
この本の続編でないかぁ。
手紙をいろんなひととやりとりしてたらしい王朗とか、蜀の滅亡時期に光芒を見せた羅憲とか、交州で半独立していたような士燮とか、宮城谷さんの筆で読んでみたい人物がたくさんいる。

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