まぐるはどのように見えるのか【泣き童子 三島屋変調百物語参之続】
- 書名:泣き童子 三島屋変調百物語参之続
- 出版社:角川文庫
- 発売日:2016/6/18
三島屋おちかが黒白の間で百物語を集める、三島屋変調百物語シリーズ3冊目。
収録されているのは、
- 魂取の池
- くりから御殿
- 泣き童子
- 小雪舞う日の怪談語り
- まぐる笛
- 節気顔
の6編。
怪異の地域
「まぐる笛」は出府してきた若侍がおちかに聞かせる怪異。若侍は東北の藩出身。お国言葉で話すことを恥ずかしがる。
なんとなく読める所と、物語の登場人物に杣人が出てくるところをみると秋田か津軽の方かな。
若侍が子供の頃に体験した話。
母親と引き離され、子供一人杣人の一家の親戚に預けられた若侍。
餓鬼大将のいじめにあい、実家恋しさに一人で家出し迷い込んだ山中で「まぐる」に食われた死体を発見する。
イメージの中の「まぐる」は?
まぐるは、人を一飲みできる大きな口があり、手足には爪があり、尻尾もあるという。
頭の中のビジュアルは、緑色のティラノサウルスといったところだったけど、どうだろう?
しかし、こんなことが言えるのも、例えば図鑑で、例えば映画で、自分がティラノサウルスのイメージをあらかじめ持っているからなのだ。
そのようなイメージをおそらく持たないだろうおちかには、まぐるはどのように想像されたのだろうか?
恐竜のような大型爬虫類のイメージは難しいだろうし、熊のような大型哺乳類だって見たことがないかもしれない。
とすると、おちかのまぐるの視覚的なイメージを具体的にもつことはとても難しかったのではないかと思う。
視覚的に想像つかないものって、どんな風に怖いだろう?
実写の協調としてのデフォルメの表現としてイラストやアニメなどが担っている部分っていうのは、例えば宗教画や浮世絵、瓦版の絵を見て想像するのかな?
おちかにとってこのまぐるという怪異は、実際に若侍の感じた恐怖心+想像の恐怖感があるんじゃないかと思う。
方言で語るから
お国言葉、方言が語りに取り入れられているのは、標準語(?)にしたときの硬質感のようなものを和らげる効果があるのか。方言って表記が難しいから、ひらがなが必然多くなるし、見た目上も柔らかくなる。
実際に方言を使っていた人間としては、方言独特のニュアンスっていうのもあって、それはそうとしか表現できなかったりするしね。
無論、若侍が自分の経験を自分の言葉でより語るには、方言の方がリアリティがある。
家族親戚、土地の人間が同じ方言を話すことで、そこには語りの場において江戸の言葉の外側の地域性のようなものをもつものなのかもしれない。
それが別世界で起こった現実の怪異と、語りの場をつなぐ役割も若侍はしていることになる。
まぐるは山の怪異という。人が山に入る前からそこにいたのだと。
また、まぐるは怨みの凝り固まって現われるものだともいう。
だからなくなることはないのだと。したら、まだまぐるはいるのかもしれないよな。
その他の編
読んでてほっと温かくなる「小雪舞う日の怪談語り」が好きだ。黒白の間を飛び出して、おちかとお勝が百物語の会へ出かけていって、おちかを目標としない怪異譚を聞く趣向。
橋(川)という狭間のこちらとあちらはある意味別世界。その狭間ではいろいろなことが起こりうる。
あとがきによると、「くりから御殿」は東北の震災直後に出た作品らしい。
それから表題作「泣き童子」の「じじい、(以下略)」のセリフが恐ろしく怖かった。
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