権六は海を渡らなかったのか渡れなかったのか【真田太平記】

  • 書名:真田太平記
  • 著者:池波正太郎
  • 出版社:新潮文庫
  • 発売日:1987/9/30
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いまさらながら真田太平記を読んでいる。ようやく4巻目に突入。(新潮文庫版全12冊中)
池波さんの真田騒動を読んだのが2016年の4月だから、なんだかんだ1年近くたっていて、こんなに間があくはずじゃなかったんだけどな、という気がしている。

ちょうど大河ドラマが「真田丸」で、へそ曲がりとしてはこれくらいのタイミングがいいのかもしれない。


昌幸のチャーミング

さて4冊目まで読んできて、父昌幸と信之、信繁(幸村)の兄弟たちが中心に物語は進む。
武田配下として信州小県の本拠と上州沼田を治める真田家。
織田信長の高遠攻めから物語はスタートし、ここで幸村の家来となる佐平次と、真田家の諜報機関草の者お江が登場する。
彼らは戦国武将である昌幸たちを上からの視点とするならば、身分を持たない位置からそれをみる視点と、物語の進行役的な役割か。
武田が滅亡し、武田を滅ぼした織田信長も本能寺で明智光秀に討たれ、羽柴秀吉が一気に天下へ駆け上がる時代背景。
真田昌幸といえば、上田合戦で2度も徳川軍を退けた戦国の曲者、梟雄、智将といったイメージが一般的か。

しかしこのシリーズの昌幸といえば、無論草の者を駆使し、厳しい戦国大名としての一面を見せながらも、私人としていまいちな部分も多く、それが昌幸個人の個性というか人間くささに繋がっていて、チャーミングというかなんというか、なのだ。

この昌幸はどうにも正妻山手殿にどうにも頭があがらない。
女好きというか、当時の戦国武将としての常識の範疇からいけばそういうものなのかもしれないが、そのせいでどうも女性関係で自らの首を締めるところがある。
山手殿との子である信之と山手殿の子ではない幸村ととの関係もあってか、というよりも、悋気の強い山手殿の妹(久野、人妻)とわりない仲になっていったり、なんとかバレないように外に女を囲ったり。
一苦労なんである。
昌幸の好みが肉置きの豊かな、今ならぽっちゃり好きな女性観に対し山手殿が肉付きの薄いキャラクターだからっていっても、それは山手殿のせいではないし。

さらに長男信之に対し、後継として認めつつ、かわいさという点では次男幸村に甘いという性格もまた、どうにも。
確かに完璧な(大人びた)信之よりも、自分と似たところがありやんちゃな幸村を可愛く感じるのはわからないところはないにしても、一家の当主として配下から見ても、それが好悪と捉えられてしまうようでは失敗してるでしょう。

どうにも、戦国の曲者、梟雄、智将といった言葉とはそぐわない。
人間臭いというか、彼の武将、領主としての側面ではなく個人史でみたときになんだか色々失敗してないか、というかダメ人間なところがあってどうにも人間臭くてチャーミングなのだ。

権六はなぜ日本海をまわらなかったのか

戦国時代も収束に向けて加速していくこのシリーズの中で、信長の後継者争いでは秀吉があっという間にリードを奪い独走していく。
独走されるきっかけともなった、柴田勝家は本拠北陸の雪の深さにタイミングを逸し秀吉の後手にまわり挽回できずに賤ヶ岳で破れることになる。

雪国に住んでいたから想像が着くが、実際に雪が降る地域では恐ろしく雪に行動を制限される。
ここから300年たった明治時代に「八甲田雪中行軍遭難事件」が起こっているように、雪が降るというのはそれだけえらいことなのです。
だから冬の立山を越えて家康に会いにいった佐々成政の方がむちゃくちゃなのだ。

しかしだ、少し疑問に思ったのだ。
例えば滝川一益が伊勢で兵を上げた時に京を衝くタイミングはなかったのか?
前述の通り大軍での陸路で山越えは無理だろう。
それならば海路でどこかに兵を輸送する方法はなかったのか?
せっかく日本海側の北陸の地を治めていたのだから。
と思ったのだけれど、瀬戸内海や紀州のあたりと違って、この辺に大きな水軍がいたって話はあんまり聞いたことがないな。
交易路としては古いみたいなんだけど。
そうすると兵力輸送という点で難しかったのかな。これは他の地域でもそうなのかな?
むろん上陸する場所がなかったのかもしれないけれど。


とまぁ、こんな感じでチクタクと読書中。
今年の春は池波節の真田太平記で過ごせそうで嬉しい。
いかさま、ね。

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