万城目学さんの「悟浄出立」を読んだからやっぱりこっちも【現代日本文学館 李陵 山月記】

  • 書名:現代日本文学館 李陵 山月記
  • 著者:中島敦
  • 出版社:文春文庫
  • 発売日:2013/7/10
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万城目学さんの「悟浄出立」を読んで、やっぱり中島敦の方も読まねばということで購入。
前回の記事
実は西遊記って読んだことなかったです【悟浄出立】

李陵

中島敦のイメージは国語の教科書にあった「山月記」。
山月記も本書に収録されている。
じつは山月記と李陵は以前に読んだことがあった。
李陵はなんだかさっぱり李陵に相手にされていない司馬遷が哀れというか、なんだかなぁ
と思った記憶がある。
ところが今回読んだ時はちょっと違った読み方になった。
求刑に処されたことへの司馬遷の絶望感が半端ない。
これは万城目さんの方を読んだ影響が否めないけれど、強制的に(自分の意思ではなくて)男性器を切り取られるっていうのは、アイデンティティと人間性に対するものすごい否定だな、と。
人間であるということを削除されるという扱いを受ける、これから受け続けなければいけないというのは、死刑よりも厳しい刑かもしれない。
抜け殻になった司馬遷を史記完成まで導いたものはなんだったのか。
李陵と蘇武の対比、心の置き所の違いも読み返して切ない。

悟浄出世、悟浄歎異

こちらが万城目学さんの「悟浄出立」の前作(?)になるお話。
三蔵法師に出会う前の沙悟浄の葛藤が描かれた「悟浄出世」、一緒に旅する三蔵法師、孫悟空、猪八戒を沙悟浄の目線で分析した「悟浄歎異」。
この沙悟浄、とても近代的な哲学者である。
日本ではドイツ哲学が受け入れられやすい土壌もあったろうし、中島敦自身も哲学には興味があったようだ。
中島の家系が儒学者の家系であり、儒学に幼い頃から親しんだ中島の環境と西洋哲学が日本に輸入されてくる時代との中で、自分とは何か、他者とは何か、ということを考えることがあったのかもしれない。
悟浄出世にせよ悟浄歎異にせよ、悟浄の目線から見た他者の分析がなされている。
沙悟浄の良いところは、良いところは良いと、悪いところは悪いと、感嘆する前に分析しているところだろう。
ゆえに、自分との差異についてまた考察する。
なるほど、確かに沙悟浄は実行者というより分析者だ。

西遊記(10冊セット) (岩波文庫)

弟子とロビンソンクルーソー

この他にも、なんだか小さい頃にロビンソンクルーソーを読んだ時みたいな気分になった、「宝島」や「ジキルとハイド」を書いた 喘息持ちの作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンの南海サモアでの晩年を描いた「光と風と夢」。中島敦自身南洋での勤務経験があったらしい。

それから、孔子の弟子子路の目線から描いた孔子とその弟子たち、そして子路の半生が描かれている「弟子」の計6編が収録されている。
個人的にはこの「弟子」の中で子路が子貢を評価するシーンが興味深かった。
子貢には相手が漠然としていることを言葉を使って明確にする才能があるという。
子貢は外交官としても優秀だったみたいだから頷ける。
言葉を使って漠然としたものに輪郭を与える行為っていうのは、言葉の一つの強い特性だろう。
まるで虫眼鏡で拡大するように、比喩を使ってわかりにくいことを簡単に伝えられる人がいるが、子貢の言葉はまるで虫眼鏡だったのか。

中国ものの小説が好きだ。
だからなのか、中島敦の世界はとても居心地がよい。とてもおもしろく読むことができた。
これまであんまり興味を持ってこなかったけど、孔子や孔門十哲の本もちょっと興味が出てきたのだ。

孔子 (新潮文庫)

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