「人は自分の見たい情報しかみない」ブログ記事100件という数字とSNSからの流入とかの感想

ブログで稼ごうという人って思ったより多いのかもしれない。
ちょっと調べる機会があったのだけれど「ブログ 100件」とかで検索してみると、たくさん出てくるんですねー

これはWeb界隈でよく言われることで、アクセス数が伸びないと嘆くならまずは記事を100件は書きなさい、と。
アクセスアップの方法としてはこれは正攻法。
100件あれば読んでくれる人の興味もわかってくるだろうし、そうすればどういう記事を書いていれば読んでもらいやすいのかわかってくる。
そんなこともあって100という数字はひとつの目安になっているところがある。

何のために始めましたか?

稼ぐため。もちろんOK。企業活動として、ブランディングのため、ただ何か書きたかったから。。
いろいろ始めた理由があるだろうし、それこそが目的だと思う。
その目的、目標のために何をするのか、しなければならないのか。

ブログなんかでなかなかうまくいかないパターンがあって、典型的なパターンは自己満足な内容になっている場合。
言いたいことをいうだけで、知りたいことがそこにはないパターン。

SNSから流入する人

これは自分の感覚なのだが、SNSからWebサイトに流入する人の結構な割合の人は、自分がWebサイトを見ているという認識がないのじゃないか。
あらかじめよっぽどサイトのブランディングができていれば別だが、みんなたまたま自分のタイムラインに流れてきた「その」情報に興味ああるのであって、それがどこどこのサイトに掲載されていたから見に来るわけじゃない。
このブログも各種SNSに更新情報は流しているし、そこから流入があれば正直嬉しい。
例えばスマホでTwitterしかしない人の場合、アプリのブラウザが立ち上がれば自分の見たい情報(記事)に到達できるので、そのスマホにあらかじめ搭載されているSafariなんかのブラウザを立ち上げることはないかもしれない。Twitterアプリだけで完結できる。
それはTwitterに限らず、Facebookかもしれないしインスタかもしれない。そういう風になってきている。

そのアプリの自分世界の中で、自分がたまたま興味をもった情報にしか反応しない。
「見たいものしか見ない」
昔テレビや新聞が一方的な方向に情報を出していたのとは違い、Webの場合、個々人に情報の取捨選択の選択権が大きい。
テレビの場合は見たくないものはチャンネルを回したり、見ることをやめることでやり過ごしてきたけれど、Webの場合はスクロールするだけでよくて、スクロールするという行動は個々人が自分の意志ですぐにできる。
だから興味のないものを一切自分の視界に入れない、おそらくそれも無意識下で、ことができるようになってきているように感じる。

これは、そういうものなんであって、それがダメだとかいいとかいうつもりはない。
ただそういう状況にあるという風に思っているだけだ。
だから、この状況下において、アクセスが伸びない、こんなにいい情報を出しているのに、なんていう嘆きを聞くとちょっと違うんじゃないかと感じることがある。
結局のところ、見る人が見たい情報にみせることができるかどうかであり、その中にちゃんと自分の伝えたかったことが入れられているかどうかだと思う。

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