秀吉像について考える【花戦さ】
- 書名:花戦さ
- 出版社:角川文庫
- 発売日:2011/3/15
初代池坊専好が主人公。若い頃に自身の虚栄心を見透かされたことにより、同じ美を極めんとするものとして、千宗易(利休)との間に親友関係を結ぶ。
親友利休が秀吉によって切腹させられたことへの怒り、天下人としての秀吉に対し花人としての戦いを挑むストーリー。
最近戦国時代の小説を読むことが多いせいか、秀吉に良く出逢う。
「花戦さ」の中の秀吉は、旧主信長への忠義のもとに、信長の見た天下統一を受け継ごうとする。
信長が政治的に利用した茶の湯や華道の世界にも、信長への憧れから入っていく。
秀吉が天下人として辿り着いた美は、利休や専好が目指すものとはかけ離れていった。
天下に一人の天下人秀吉は、己の美以外の価値観を許容できなくなってしまったのである。
憧れとしての信長を失い、一番になることを目標とした秀吉にとっては、他の価値観を許容するということが、自己の否定に繋がってしまったのかもしれない。
ここに見る秀吉像は、信長への憧れとそこから上り詰めていったことでの狭量さをさらけ出してしまったというところか。茶の湯や華道をあくまで政治的に利用していたとする秀吉像に対し、自分なりの強い美意識があったのだと感じられる。
信長への憧れは、話の最後まで秀吉の中に流れ続けているものであった。
信長時代の想い(思い出)ということに関しては、佐々成政を主人公にした「沙羅沙羅越え」(風野真知雄 著)の中の秀吉は、信長時代に佐々成政や前田利家が自分の上位にいた時の屈辱感をもちつづけたまま天下人になっていた。
また蒲生氏郷を主人公とした「レオン氏郷」(安部龍太郎 著)においては、信長死後、信長の理想からかけ離れていく秀吉が、信長の理想に自分の理想を描いた蒲生氏郷の目線からとらえられている。氏郷は利休七哲の一人であり、その氏郷から見た秀吉像とは本書の秀吉との違いを考えるのもおもしろい。
花人としての何かを極めようとする専好の一心さと、暮らしの中において人情的な専好さんにとても好感の本書。
素直に専好に対する憧憬を抱えながら専好を支える専武もいい。
しかし、やっぱり悪者役で描かれる石田三成と、戦人として、かぶきものとして、専好に戦いの場を提供する槍の又左、前田利家の颯爽とした感じが印象深い。
本書「花戦さ」は野村萬斎さん主演で映画化されるみたい。(2017年公開)
これも楽しみですねー
そういえば単行本では「花いくさ」だったのに、なんで文庫では「花戦さ」になったんだろう??
◆参考サイト
花戦さ -東映
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